大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和57年(ネ)462号 判決

控訴人 乙山竹子

右訴訟代理人弁護士 大輪威

被控訴人 甲野春子

右訴訟代理人弁護士 中村周而

同 工藤和雄

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  控訴人が、別紙目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)につき、所有権を有することを確認する。

3  被控訴人は、控訴人に対し、本件建物について新潟地方法務局両津出張所昭和五三年八月二九日受付第四五一五号をもってした別紙目録三の2記載の所有権保存登記(以下「本件(2)の保存登記」という。)の抹消登記手続をせよ。

4  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決を求める。

二  被控訴人

主文と同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  控訴人の請求の原因

1  控訴人は、訴外甲野太郎(以下「訴外太郎」という。)その後妻訴外甲野松子(以下「訴外松子」という。)との間の唯一の子(長女)であり、被控訴人は、訴外太郎とその先妻訴外甲野花子との間の長男甲野一郎(以下「訴外一郎」という。)の妻であるところ、訴外太郎は昭和一一年八月二七日に、訴外一郎は昭和四九年一一月一四日に、訴外松子は昭和五三年四月一八日にそれぞれ死亡した。

2  訴外松子は、訴外太郎の死後、遺された同訴外人の実母甲野ハナ、訴外一郎及び控訴人よりなる一家の生計を維持するため、新たに旅館用建物を建築してかつて同家で経営して旅館業を再開することを計画し、昭和一四年、実兄の訴外丙川梅夫(以下「訴外梅夫」という。)から建築資材の材木の大部分の贈与を受け、建築資金については、実母の訴外丙川マツ及び訴外梅夫よりの援助、先夫の訴外丁原松夫との離婚に際して同人より支払いを受けた金員、訴外太郎のわずかの遺産、訴外戊田五郎よりの借入金等をこれに充て、訴外甲海十郎を棟梁とする大工らにその建築を請負わせて、本件建物を建築してその所有権を取得し、そこで旅館甲山屋の屋号で旅館業を営んできた。

そして、前記のとおり昭和五三年四月一八日に訴外松子が死亡し、控訴人は、その唯一の相続人として本件建物の所有権を相続により取得した。

因みに、本件建物については、別紙目録二の1記載内容の建物の表示の登記(以下「本件(1)の表示登記」という。)がされており(本件(1)の表示登記において訴外松子を所有者として記載されていることにより、本件建物が訴外松子の所有に属したこと、ひいてはそれが現に控訴人の所有に属することが推定されるものというべきである。)、本件(1)の表示登記に基づいて、控訴人は、昭和五三年七月一一日、別紙目録二の2記載内容の所有権保存登記(以下「本件(1)の保存登記」という。)をした。

3  ところが、被控訴人は、本件建物の実際の所在と本件(1)の表示登記の建物の所在の記載との間に齟齬があることを奇貨として、本件建物が未登記建物であり、それが自己の所有に属するものであるとして、昭和五三年八月二八日、本件建物について別紙目録三の1記載内容の建物の表示の登記(以下「本件(2)の表示登記」という。)をし、更に、同年同月二九日、別紙目録三の2記載内容の本件(2)の保存登記をした。

4  よって、控訴人は、被控訴人に対し、本件建物について控訴人が所有権を有することの確認と本件(2)の保存登記の抹消登記手続とを求める。

二  請求原因事実に対する被控訴人の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、訴外甲海十郎を棟梁とする大工らが昭和一四年に本件建物の建築を請負ってこれを建築したこと、本件建物が旅館甲山屋の営業の用に供されてきたこと、訴外松子が昭和五三年四月一八日に死亡したこと、本件(1)の表示登記がされており、その登記において訴外カネが所有者として記載されていることは認めるが、控訴人が本件(1)の保存登記をしたことは知らず、その余の事実は否認する。

本件建物は、訴外一郎の親族である訴外丙川夏夫、同乙山秋夫及び同丙田冬夫が訴外太郎の死亡により戸主となった訴外一郎の所有とするために建築することとして、訴外甲海十郎を棟梁とする大工らに請負わせて建築したものであり、建築資材の材木の大部分は右訴外丙川夏夫、同乙山秋夫及び同丙田冬夫がその所有する山林から伐採して提供し、建築費用のうち職人の日当は右訴外丙川夏夫において負担し、その余の費用は訴外一郎がその後六、七年にわたって支払ったものであって、訴外一郎がその所有権を原始取得したものである。また、控訴人の主張する本件(1)の表示登記は、その記載の敷地地番に昭和二三年頃まで存在し、かつて旅館営業の用に供されていた別個の建物(以下「本件旧旅館建物」という。)についてのものであって、本件建物についてのものではない。

3  同3の事実のうち、被控訴人が本件建物を自己の所有に属するものとして本件(2)の表示登記及び本件(2)の保存登記をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

第三証拠関係《省略》

理由

第一当事者の身分関係等

先ず、本件の当事者及び関係者の身分関係等についてみると、請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、右事実に、《証拠省略》を総合すると、次のような事実を認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

一  訴外太郎(明治三五年五月三〇日生れ)は、大正一四年二月に訴外丙川花子と婚姻して長男訴外一郎(大正一五年三月二〇日生れ)をもうけ、昭和二年一月に実父訴外甲野松太郎の死亡したことに伴い、同訴外人が大正時代に右花子の甥の訴外梅夫から借受けた新潟県両津市(当時新潟県佐渡郡内海府村)《番地省略》の土地に建築した本件旧旅館建物を家督相続により取得し、右花子の妹の訴外丙田花枝らにそこで旅館甲山屋として旅館業を営ませる一方、自らは家族と共に上京して稼動していた。

二  しかし、右花子が昭和六年一二月二一日に死亡したため、訴外太郎は、実母の訴外甲野ハナ(明治四年七月二三日生れ)及び訴外一郎と東京で生活することとしたが、やがて右花子の姪で訴外梅夫の妹の訴外松子(大正二年八月八日生れ)と婚姻することとし、同人を東京に呼び寄せて婚姻生活に入り、昭和一一年一月一三日(但し、戸籍の記載上は、昭和一一年八月一一日)には長女の控訴人をもうけるとともに、同年同月一五日訴外松子との婚姻の届出をした。

三  ところが、訴外太郎は、その後程なく結核を患ったため、昭和一一年春、一家を挙げて鷲崎に帰省して静養することとし、本件旧旅館建物に隣接する訴外松子の実兄の訴外梅夫方に寄寓して療養生活を続けていたものの、結局同年八月二七日に死亡した。そして、訴外一郎は、訴外太郎の死亡に伴ない、家督相続をして幼くして同家の戸主となった。

第二本件建物建築の経緯等

一  そこで、本件建物が建築されるに至った経緯等についてみると、訴外甲海十郎を棟梁とする大工らが昭和一四年に本件建物の建築を請負ってこれを建築し、爾来本件建物が旅館甲山屋の営業の用に供されてきたことは当事者間に争いがなく、右事実及び前項において認定した事実に、《証拠省略》を併せ判断すると、次のような事実を認めることができる。

1  訴外松子は、訴外太郎の死亡により、前記のとおり高齢の姑並びに未だ小学校に在学中の訴外一郎と幼少の控訴人の二人の子供を養っていかなければならないこととなり、訴外梅夫や訴外太郎の叔父の訴外丙川夏夫から田畑を借受けて耕作し、あるいは親族等から援助を受けるなどして、一家の生計を支えていた。

2  そこで、訴外梅夫及び同丙川夏夫、訴外太郎の従兄弟で被控訴人の父の訴外乙山秋夫並びに訴外花子の従兄弟の訴外丙田冬夫らは、訴外松子一家のこのような窮状に同情して、その生活を支えるために、本件旧旅館建物の敷地とは一筆の土地を隔てた土地で、もと訴外太郎が所有し、同人の死亡により訴外一郎が相続した新潟県両津市《番地省略》の宅地及び訴外乙山秋夫所有の《番地省略》の宅地(昭和三三年一一月七日受付の同年五月二〇日付売買による訴外一郎のための所有権移転登記がされている。)に、親戚の者らが助力して新たに旅館営業のための建物を建築して、当時既に廃業状態にあった旅館営業を再興して訴外松子にその経営に当たらせることとし、訴外甲海十郎(被控訴人の従兄弟)を棟梁とする大工らにその建築を請負わせた。

なお、被控訴人は、右のような過程には訴外梅夫は関与していなかった旨を殊更に主張し、原審(第一回)及び当審における証人甲海十郎もこれに符合する証言をするけれども、これら関係者が当時格別不和な状況にあったと認めるべき証拠はなく、訴外松子一家を寄寓させることまでしていた訴外梅夫を除外して右のような話が進められたとは直ちには考えられず、《証拠省略》(被控訴人は、原審においては、当初、訴外梅夫、同丙川夏夫、同乙山秋夫及び同丙田冬夫の四人が親族会議を開いて同人らで建築資材の材木を提供し合って新たに旅館営業のための建物を建築することを決定した旨を主張していた。)に照らしても、証人甲海十郎の右証言は措信することができず、他には右認定を左右するに足る証拠はない。

3  このようにして、訴外甲海十郎を棟梁とする大工らは、昭和一四年六月頃に建築に着手し、後に認定するとおりの建築資材等や費用によって、同年一一月頃に本件建物としてこれを完成した。

なお、建築当初の本件建物は、木造板葺二階建の総床面積五五坪前後のものであって、二階部分には客室四室を有し、本件旧旅館建物に比較すると規模は相当大きかったが、その後、昭和二五年、昭和三二年頃及び昭和四六年頃にそれぞれ増改築が施されて、現況のとおりとなったものである。

4  そして、訴外松子は、親族等から旅館営業に必要な什器備品等の提供を受け、また、被控訴人が昭和三〇年九月頃に訴外一郎と婚姻した後においてはその手伝いをも受けつつ、昭和四三年頃に病臥したため訴外一郎及び被控訴人の夫婦にその経営を委ねるに至るまでは、旅館甲山屋の営業許可名義人として、実質的にも形式的にも一家の中心となって、本件建物において旅館業を営んできたものである。

他方、訴外一郎は、昭和一五年に小学校を卒業し、本件建物に居住しつつ、漁業にも従事していた。

第三本件建物の所有権の帰属

一  ところで、本件建物の所有権の帰属については、控訴人は、その建築資材の材木の大部分は訴外松子の実兄の訴外梅夫が訴外松子に贈与したものであり、また、その建築費用も訴外松子がその実家からの援助や訴外戊田五郎からの借入金等をもって支弁したものであって、本件建物は訴外松子が建築してその所有権を原始取得したものであると主張するのに対して、被控訴人は、その建築資材の材木は訴外太郎の叔父の訴外丙川夏夫、訴外太郎の従兄弟で被控訴人の父の訴外乙山秋夫、訴外花子の従兄弟の訴外丙田冬夫がその大部分を提供し、その建築費用も右訴外丙川夏夫や訴外一郎が負担したものであって、本件建物は、訴外一郎の所有とするためにその親族の者が訴外甲海十郎に請負わせて建築したものであり、訴外一郎がその所有権を原始取得したものであると主張する。

もとより、新築された建物の所有権の帰属を決するに当たっては、誰の所有の建築資材をもってその建物が建築され、その建築費用を誰が支弁したかということが重要な要素であることはいうまでもないところである。しかしながら、前記認定の本件建物建築等の経緯に見られるような親族の集団における相互援助的な形態においてある家族のために建物を新築するような場合においては、その建築資材や建築費用を特定の者に贈与するという明確な意思表示をしないままに提供又は出捐するということがしばしばみられるばかりか、家族中の特定の者のためというよりは家族といういわば一つの集団のためにする意思で建築資材を提供し又は建築費用を負担するということもありうるところである。したがって、このような場合にあっては、本件当事者双方の主張するような、当該建物が誰の所有の建築資材を用い誰の支弁した費用でもって建築されたかということのみから、その所有権の取得者を一義的に決することは相当ではないのであって、結局、当該事案の具体的な事実関係及び諸事情の下において、建築資材を提供し又は建築費用を負担するなどしたこれらの関係者の具体的、事実上の意思と行動を当時の社会通念に従って総合的に判断して、その所有権の帰属を推認するほかはないものというべきである。

二  以上のような観点に立って、本件建物の所有権の帰属を決定するについて意味を有すると考えられる事実関係及び諸事情について検討する。

1  先ず、本件建物の建築資材として使用された材木については、原審における証人丙川夏子(第一回)は、本件建物の建築資材の材木は、その大部分を訴外丙川夏夫と訴外梅夫とが自己所有の山林から伐採して提供し、その他の親族らも当時の鷲崎地方の慣習に従って少しづつ材木を持ち寄った旨を証言するのに対し、証人甲海十郎は、原審(第一回)及び当審において、建築資材の材木の約三分の一は訴外丙川夏夫が無償で提供し、約三分の一は訴外乙山秋夫が有償、無償半分宛で提供し、その余は他の親族らが少量づつ持ち寄ったと証言し、訴外丙川夏夫が相当部分の材木を提供したこと及びその他の親族らも少なくとも少量づつの材木を提供し合ったことは確かなものの、それ以上に他の親族らが提供した材木の多寡や割合等については、いずれにしても旧時に属することであって、右各証言の真偽をいずれかに決するに足る的確な証拠はない。

しかしながら、後にみるように、当時これら関係者の間において本件建物を誰の所有とするかが特に問題にされたり論議されたことはなく、法律的な意味において本件建物を誰の所有とするためにこれら建築資材を提供するのかが特に意識されたようなことはなかったと考えられるのであって、この点についての関係者の意思や思惑に格別の齟齬や不一致があったとも認められないのであるから、問題は、むしろ関係者の全体としての意思や思惑がどうであったかにあり、このような意味での関係者の範囲とその意思が明らかとなれば足ると解すべきであって、これら関係者が提供した材木の多寡や割合等は本件建物の所有権の帰属を決するについて必ずしも重要ではないと解するべきであるから、右の程度に事実を認定すれば足りるものというべきである。

2  さらに、本件建物の建築費用については、《証拠省略》によれば、本件建物の建築費用としては大工らの日当等に数百円を要し、そのうち二、三百円は当時一時金として支払われたものの、その余はその後の数年間にわたって分割支払がされたというものであるところ、右証人甲海十郎は、右建築費用には訴外太郎の遺した金員、訴外丙川夏夫の受領した軍人恩給、その後の旅館営業からの収益、昭和一五年に小学校を卒業した後漁業に従事することになった訴外一郎の漁業収入などが充てられた旨を証言し、他方、原審における証人丙川夏子(第一回)は、訴外松子は、懇意にしていた訴外戊田五郎が金融会社から融資を受けた三〇〇円を同人から借受けて本件建物の建築費用に充てた旨を証言する。そして、《証拠省略》によれば、訴外松子及び訴外戊田五郎は、本件建物の建築費用が訴外戊田五郎からの借入金をもって支払われた旨をしばしば周囲の者に対して話していたことが認められるうえ、《証拠省略》によれば、訴外戊田五郎は、昭和一四年一〇月一九日、自己の所有する田に抵当権を設定して訴外末武兄弟金融合名会社から三〇〇円を借受けていることが認められるのであるから、これらに鑑みると、右証人丙川夏子の証言は、一応は借信できないでもない。

しかし、他方、《証拠省略》によれば、訴外戊田五郎は、右抵当権設定登記をしたのと同日付で、かねてから自己の二五〇円の借入金債務を担保するため右田につき右訴外会社のために設定してあった抵当権設定登記を抹消していることも認められるのであって、この経緯に照らすと、訴外戊田五郎は、当時、右訴外会社からの従前からの借入金をいわゆる借り替えたにすぎないものとも考えられるのであって、右建築費用の総額や関係者間での負担割合等を的確に認定することは困難であるが、先に判示したのと同一の理由により、本件建物の所有権の帰属を決するについては、差し当たり本件建物の建築費用は訴外松子をも含めた親族らがこれを支弁したという程度に概括的に事実を認定するをもって足りるものというべきである。

3  次に《証拠省略》によれば、鷲崎地方においては、戦前から、建物が新築された場合、その棟上げ式に際して工事の由緒、建築の年月、建築者又は工匠の氏名などを記載したいわゆる棟札を作成して、これを棟木に打ちつけるということが一般に行なわれており、しかも、戦前においては、右棟上げ式は、文字どおり棟上げがされたときではなく、建物完成後相当の歳月が経ってから挙行されることもしばしばであったところ、本件建物についても、昭和一七年五月一〇日に親戚その他の関係者が参集して棟上げ式が挙行され、「奉上棟家屋一軒普請成就」、「家主甲野一郎」、「棟梁甲海十郎」などと記載された棟札が作成されて、本件建物の棟木に打ちつけられたことを認めることができる。

そして、《証拠省略》によれば、右棟札に「家主甲野一郎」と記載するについては、棟上げ式に参集した訴外松子を含めた親族その他の関係者の間に格別の異議はなかったことを認めることができる。

4  次に、本件(1)の表示登記がされており、その登記において訴外松子を所有者として記載されていることについては、当事者間に争いがないところ、控訴人は、これによって本件建物が訴外松子の所有であったこと、ひいてはそれが現に控訴人の所有であることが推定されるべきであると主張し、被控訴人は、本件(1)の表示登記は、本件旧旅館建物についてのものであると主張する。

そこで、この点について検討すると、先ず、《証拠省略》によれば、本件(1)の表示登記におけるのと建物の表示事項が全く同一である家屋台帳(副本)が昭和二九年頃まで固定資産税の課税台帳として旧内海府村(後に両津市に合併)役場に設けられ、訴外松子を所有者として記載されていたことが認められる。そして、家屋台帳は、当初、旧家屋税法(昭和十五年法律第百八号)の制定、施行に伴ない、同法に基づく国税としての家屋税の徴収のために所轄税務署に備え付けるべきものとして調製されたものであって(同法第五条)、家屋税は、家屋台帳に所有者として登録された者より徴収するものとされ(同法九条)、昭和一五年七月一日において家屋税を課すべき家屋を所有する者は、同年八月三一日までにその旨を税務署長に申告すべきものとされたのであるが(同法七三条)、戦後の税制改革により昭和二五年に家屋税が廃止されて、新たに市町村税として創設された固定資産税に統合され、これに伴なって家屋台帳も登記所において管掌するとともに、市町村にも家屋台帳の副本が備えられ、課税台帳作成の基礎とされてきたものである。そして、その後、不動産登記法の一部を改正する等の法律(昭和三十五年法律十四号)の制定、施行によって、台帳制度が廃止され家屋台帳と登記簿表題部とのいわゆる一元化が図られることとなって、現在に至るものである。

したがって、昭和二九年頃まで旧内海府村役場に設けられていた前記家屋台帳又は本件(1)の表示登記に記載された建物が本件建物又は本件旧旅館建物のいずれについてのものであるとしても、右両建物は、いずれも昭和一五年七月一日以前の建築にかかるものであるから、右のような法制の変遷の経過にかんがみれば、右家屋台帳の記載は、昭和一五年七、八月にされた申告に基づいて登載されたものであることが推認され、また、本件(1)の表示登記のされている登記用紙の表題部は、前記不動産登記法の一部を改正する等の法律附則第二条第一項及び不動産登記法施行規則の一部を改正する等の省令(昭和三十五年法務省令第十号)附則第三条の規定により新設されたものと推認され、本件建物又は本件旧旅館建物の所在地を管轄する登記所(新潟地方法務局両津出張所)の右の法律附則第二条第二項の規定による登記用紙の表題部の改製及び新設を完了すべき期日が昭和四三年一二月三一日であることは、同条第三項の規定による官報の公示により公知の事実であるから、本件(1)の表示登記は、右期日の翌日において、右期日まで右登記所に備え付けられていた当該建物の家屋台帳に基づき当該建物の表示事項を移記してされたものと認めることができる。

そして、本件(1)の表示登記に記載の所在地番と本件建物のそれとの間には若干の齟齬があるものの、その記載の建物の床面積は建築当初の本件建物の床面積に概ね近似するところであるから、本件(1)の表示登記は、本件建物についてのものであると一応推定することができる。

しかしながら、本件(1)の表示登記は、先にみたとおり、結局、前記旧家屋税法第七三条に規定に基づいて昭和一五年七、八月頃にされた申告に由来するものであると認められ、家屋税を納付すべき義務者としてされる右申告は、必ずしも家族中の当該建物の法律上の所有者名義をもってされるとは限らず、当該建物において営業等をしていて事実上納税を担当する者の名義でされることも十分ありうるところであるから、本件建物の所有権の帰属が家族以外の第三者との間において争われているような場合においては、本件(1)の表示登記の存在することによって右建物が訴外松子の家族中のいずれかの者の所有に属することを推定することができても、本件におけるように本件建物の所有権が家族の構成員のいずれに属するかが問題となっている場合においては、本件(1)の表示登記において訴外松子を所有者として記載されているからといって、直ちに本件建物が訴外松子の所有に属したことについて格別の推定力を認めうるものではないといわなければならない。

5  最後に、《証拠省略》によれば、訴外松子は、昭和四三年頃より晩年までの間に、本件建物が自己の所有に属するものである旨をしばしば周囲に言明していたことを認めることができる。しかしながら、《証拠省略》によれば、本件建物の建築当時においては、訴外松子と訴外一郎との間はもとより、その他の親族等の間においても、本件建物を法律上訴外松子の所有名義とするか訴外一郎の所有名義とするかが問題とされたり争われたりしたようなことはなく、また、これら関係者が格別不和な状況にあったわけでもなく、本件建物の所有権の帰属が特に意識されるような契機はなかったのであって、昭和四三年頃に訴外松子が病臥して旅館甲山屋の経営を訴外一郎及び被控訴人の夫婦に委ねるようになった後、訴外松子が自ら望みもしないのに無理に入院させられたとして同人らを快く思わなくなったことを機縁として、訴外松子と訴外一郎及び被控訴人の夫婦が不和となり、本件建物の所有権の帰属が問題とされるようになったことが認められる。したがって、右認定のとおり訴外松子が本件建物が自己の所有に属する旨を周囲に言明したというのも、以上のような背景においてであって、それは必ずしも本件建物の建築当時の自らの意思や関係者の思惑をそのまま反映したものとは解しがたく、本件建物の所有権の帰属を決するについて特に意味を有する事実とは考えられない。

三  そこで、以上に認定したような事実関係の下において、本件建物の所有権の帰属について検討する。

訴外太郎の死亡により遺されたのは、訴外松子、高齢の姑、未成年の訴外一郎及び幼い控訴人であったのであるから、一家の中心となって生計を支えていかなければならなかったのが訴外松子であることはいうまでもなく、とりわけ婚姻後程なく夫を失ってこれらの遺族を養っていかなければならなくなった訴外松子の身の上に親族の者らの同情が寄せられたであろうことは、容易に想像できるところであり、新たに旅館営業のための建物を建築して旅館業を再開するにしても、関係者らが訴外松子がその経営に当たるものであることを予定していたであろうことは、疑いを容れない。

したがって、本件建物の建築資材の提供又はその建築費用の出捐等の援助をした関係者らの意思や思惑が格別の差異もなく訴外松子のためにするにあったということができる。しかし、本件建物が建築された当時のいわゆる家の制度の下にあっては、家族の生活又は営業の本拠となる家屋については、それを当該家族共同体に属するもの、いわば家産としてとらえるのが国民の一般的な意識であり、その所有権は戸主に帰属するものとして戸主から戸主へと承継させていくこととして家の存続を図ることとするのが通例であったのであるから、右の訴外松子のためということも、畢竟その家族共同体すなわち家のためということに帰するのであり、このことは、訴外松子の意識としても同じであって、当該家屋を戸主の所有とすることを排除したと認めるに足る特段の必要や理由などの事情が認められない限り、その所有権は戸主に帰属するものと推定するのが相当である。そして、本件建物が建築された当時には、訴外太郎の死亡により既に訴外一郎が家督相続をして戸主の地位にあったものであるところ、訴外一郎は訴外太郎とその先妻との間の子であるとはいえ、特に訴外松子と不和であったというような状況にはなかったことは先にみたとおりであって、本件全証拠によっても、他に訴外松子又は本件建物の建築に関与した関係者らが本件建物を戸主である訴外一郎の所有とすることを排除したであろうことを首肯させるような特段の必要や理由を認めることはできない。かえって、本件建物の棟上げ式に際して、「家主甲野一郎」と記載された棟札が作成され棟木に打ち付けられたにもかかわらず、訴外松子を含めた親族等の関係者の間に格別の異議がなかったことは、右関係者の当時の意識が戸主である訴外一郎を本件建物の所有者とするにあったことを窺わせるものということができる。

以上のとおりであるから、本件建物は訴外一郎がその所有権を原始取得したものというべきであって、訴外松子がこれを取得したものとする控訴人の主張は、失当として排斥を免れない。

第四結論

そうすると、訴外松子が本件建物の所有権を取得したことを前提とする控訴人の本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は正当である。よって、本件控訴はこれを棄却することとし、控訴費用の負担については、民事訴訟法第九五条及び第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 越山安久 村上敬一)

〈以下省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例